東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1262号 判決 1977年5月31日
控訴人 中山功次 外一名
被控訴人 千葉県
主文
本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
一 控訴人ら代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ金八一三万〇九一三円及びこれに対する昭和四八年七月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の事実上・法律上の主張及び証拠の提出・援用認否は、次のとおり訂正、付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。
1 原判決一〇枚目裏九行目の記載を次のとおり訂正する。「三 甲第五号証の一ないし一六が昭和五〇年一月四日、同号証の一七ないし二〇が昭和四九年八月、甲第九号証の一ないし九が昭和五〇年六月二一日にそれぞれ控訴人ら主張のとおりの場所を撮影した写真であることは認める。その余の甲号各証の成立はすべて認める。」
2 (証拠関係省略)
理由
一 昭和四八年三月一一日午後三時二〇分頃、訴外中山茂(昭和四二年一〇月二三日生れ、当時満五才、以下「訴外茂」という。)が松戸市栗山一九八番地所在の千葉県水道局栗山浄水場(以下「本件浄水場」という。)の構内に立ち入り、同構内の変電設備所(控訴人らのいう変電所、以下「本件変電設備所」という。)の周囲に張りめぐらされた高さ一・九メートルの金網柵を乗り越えて同所内に入り、同所に設置されている碍子型遮断器(控訴人らは変圧器というが、正確には上記のように呼ぶべきものである。)に登つて感電し、このため翌一二日死亡したこと、控訴人らが訴外茂の父母であり、その相続人であること、変電設備所を含む本件浄水場が被控訴人の設置管理にかかる公の営造物であることはいずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、本件事故当時被控訴人の変電設備所を含む本件浄水場の管理に瑕疵があつた旨の控訴人らの主張について検討する。
1 成立に争いのない甲第三号証、乙第一号証の一、二、乙第二号証、乙第四号証、原審証人夏加のり子(後記採用しない部分を除く。)、同島良子(後記採用しない部分を除く。)、同伊藤重義、同田丸久雄、同国井茂男、同中岡忠老、原審及び当審証人通木愛策、同吉田政高の各証言、原審(後記採用しない部分を除く。)及び当審における控訴人中山功次本人尋問の結果並びに原審における検証の結果を総合すれば、以下の諸事実を認めることができる。
(1) 本件浄水場は、松戸市の南西部、市川市寄りの江戸川沿いの台地上にあつて、敷地総面積は約四万六〇〇〇平万メートル、その南側、西側は主として畑、山林、東側、北側は住宅地となつている。構内には浄水設備として沈澱池、濾過池、配水池、配水塔、本件変電設備所、ポンプ室、管理棟等がある。右配水池は第一号から第五号まであり、いずれも地中にあつて地表には芝生の植込みがなされている。
(2) 本件浄水場は、外部からの侵入を防止するため、その周囲にコンクリート土台、鉄骨支柱から成る高さ約一・八メートルの金網柵が張りめぐらされており、本件事故当時その南側に正門、東側に通用門二つ、西側に通用門一つが設けられていた。右のうち、正門は幅約一〇メートルで外部からの所用者や車輛の出入りのため常時開扉され(当時門扉の故障のため夜間も開扉されていた。)、東側の通用門の一つはその近くにある職員公舎からの職員の出入りのために設けられたもので、出入りの都度開扉されるが通常は施錠されており、またその余の通用門は通常使用されておらず閉鎖されていた。正門付近には、関係者以外の無断立入りを禁止する旨の看板が三枚立てられていた。
(3) 本件変電設備所は、浄水場構内にあつて東側の職員用通用門に近く、正門からは、北方へ向かう舗装道(その右手は第四号配水池の上の平坦な芝生となっている。)を進み、配水塔を経て約一〇〇メートルの地点にあり(正門付近との間に敷地の高低はない。)、右配水塔に妨げられて正門付近からこれを見通すことはできない。一方、後記北側開ロ部からは、第一ないし第三号配水池の上の平坦な芝生を経て約八〇メートルの地点にあり、右芝生から約四〇度の勾配を有する高さ約二・四五メートルの土手を上つた高台に位置し、右北側開口部付近からの見通しを妨げるものはない。周囲には取扱者以外の接近を防止するため、コンクリート土台、鉄骨支柱から成る地上よりの高さ一・九メートルの防護用金網柵が張りめぐらされ、その四囲に「立入厳禁」、「危険・高電圧」と記された看板がとりつけられていた。本件事故当時は右金網柵の上部に忍び返しはとりつけていなかつた。訴外茂がよじ登つた碍子型遮断器は右金網柵の内にあり、北側の金網柵から約六・五メートル離れたところに設置され、全体の高さは地上から三・四六メートルで、二・一〇メートルの高さのところにあるバルブに二万ボルトの電流が流れており、訴外茂はこれに触れて感電したものである。
なお、右変電設備所の設置、使用については、防護用金網柵の設置、碍子型遮断器の位置等を含め、通商産業省令(昭和二九年四月一日制定の「電気工作物規程」)に定める基準に合致するものとして、昭和三三、三四年に監督官庁である東京通商業局長の認可をうけている(もつとも、右省令一〇条の二は「高圧又は特別高圧の機械器具等を屋外に施設する変電所等には構内に取扱者以外の者が立ち入らないように柵、塀等を設け、かつ出入口に立入りを禁止する旨を表示しなければならない。」と定め、右柵、塀等の高さとこれから充電部分までの距離との和の最低限の値を規定しているが、右以上に柵、塀等の規模、材質、構造、例えば忍び返し設置の要否等については具体的に定めていない。このことは、その後右省令にかわつて昭和四〇年に制定された「電気設備に関する技術基準を定める省令」の四四条においても同様である。)。
(4) 本件事故に先立つ昭和四八年二月中旬頃から、本件浄水場構内の北側中央部に旧来の建物を改修して県水道局松戸配水工事事務所を建設し同事務所のための通用門を設ける工事が行われており、建築資材等を搬出入するトラツクの進入口とするため浄水場外周の北側中央部の金網柵が幅約一六・三メートルにわたつてとり外されていた(この金網柵のとり外されていた部分を以下「北側開口部」という。)。
(5) 訴外茂は右北側開口部から北西方向に約五〇メートル離れたところに控訴人らと共に居住していたものであるが、本件事故直前に弟(四才)及び近所の子供二人(六才、四才)と一緒に、右北側開口部から、当時同所付近で工事に従事していた作業員の目に触れることなく浄水場構内に立ち入り、前記配水池の上の芝生を経て土手を上り、本件変電設備所の北側金網柵を乗り越え同所内に入つて本件事故に至つた。
(6) 本件浄水場は昭和三三年に設置されたものであるが、昭和四三年頃から付近に住宅が増えるにつれて、近くに公園等の適当な遊び場所がないため、付近住宅に住む子供らが構内に入つて遊ぶことがままあつた。これらの子供は開扉されている正門から入る場合が多く、また東側の職員用通用門付近や北側の金網柵を乗り越えて入ることもあり、浄水場の職員がこれを見つけた場合は構外へ出していたが、このような子供らに対する浄水場側の態度は当初はそれほど厳しいものではなく、昭和四五年夏には小学校の依頼により付近の小学生の早朝のラジオ体操に正門付近の芝生の使用を許したことがあり、同じ頃野球の練習に構内の一部を使用させたこともあつた。しかし、昭和四六年五月場長が変わつてからは、新場長の方針として機器の安全管理、浄水場の汚せん防止等の観点から従来のゆるやかな態度を改め、職員に構内への子供の立入りを厳しく禁止するよう指示がなされ、場長自ら午前及び午後に各一回構内を巡視する際、また職員が一日二回構内各所に設置されている各種機器の点検整備に赴く際に、構内への子供の立入りに注意し、発見したときは厳しく叱責し、危いから構内で遊んではいけない旨を告げて構外に排除するようになつた。また構内を広く見渡すことのできる管理棟三階の事務室、二階の管理室から執務中の職員が構内に入つた子供を発見したときはスピーカーで構外へ出るように注意することも行われた。その結果、次第に付近の子供らに構内への立入りの禁止されていることが徹底するようになり、昭和四七年に入つてからは付近の子供らが構内に立ち入つて遊ぶことは以前に比べて非常に少なくなつた。
もつとも、昭和四八年二月中旬頃から設けられた前記北側開口部は、本件事故当時特に門としての設備もなく、金網柵が幅約一六・三メートルにわたつてとり外されたままで、トラツクの出入りや作業の便宜のため昼間は綱を張る等の措置もとられていなかつたので、時にはこの部分から子供らが構内に入つて同所付近の芝生の上などで遊ぶこともあつた。しかし、右開口部付近には昼間は常時作業員が工事に従事しており、これら作業員又は構内を巡回中の場長、職員らがこれらの子供を見つけ次第注意をして構外に追い出していた。現に右工事の作業監督者が本件事故の二日位前構内に入ろうとした子供数人を怒鳴りつけ、近くの道路上にいた子供らの母親にも、工事中で危険なため子供を構内に立ち入らせぬよう注意を促し、また本件事故当日の午前中にも右開口部付近に入り込んだ子供数人を追い出したことがあつた。
なお、本件事故当日は日曜日であつたが、平日より人数が少ないとはいえ、管理棟に数名の職員が執務し、構内各所の機器の点検も職員によつて行われており、北側開口部付近でも平常通り作業員数名が工事に従事していた。
(7) 右のような次第で、本件事故当時正門及び北側開口部が物理的に開放されていたことであつたし、また付近の住民の多くは浄水場構内で従来感電、水死等の事故が発生したこともなく、構内の諸設備の危険性について認識が不十分であつたため、子供らに対し構内に立ち入らぬよう厳しく注意を与えることがなかつた事情もあつて、必ずしも完全に立入り禁止の効果があがつていたというわけにはいかなかつたが、浄水場側としては、周囲に柵(金網)をめぐらしてあるし、構内に立ち入つた子供ら(その多くは三才位から上の幼児ないし小学生である。)を発見次第直ちに排除しているので、構内への立入りは許されておらず、見つかれば叱られて追い出されるということを十分わからせていた。特に、訴外茂は、本件事故の前々日頃三、四名の仲間と共に北側開口部から構内に立ち入り、近くの芝生で遊んでいるところを構内巡視中の場長に見つかり、厳しく注意されたことがあり(その際訴外茂一人がこれに反抗して場長に石を投げつける行動に出ている。)、幼稚園に通う通常の発育状態の男児で翌年には小学校に入学する年齢であつたから、構内への立入りが許されないものであることは子供心にも理解していたとみられる。
以上のとおり認められ、原審における証人夏加のり子、同島良子、控訴人中山功次本人の各供述中、以上の認定に反する部分は採用できない。
2 右に認定した諸事実を総合して考えるに、本件事故の発生した本件変電設備所は相当広大な面積を有する浄水場の構内にあつて、周囲には取扱者以外の接近を防止するため高さ一・九メートルの防護用金網柵が設けられ立入禁止の表示もなされていたのであり、右浄水場にも所用のない者の立入りを許さない建前がとられていたことは勿論、その外周には高さ約一・八メートルの金網柵が張りめぐらされて外部からの侵入を防止し、正門、北側開口部等からの幼児、児童の立入りに対しても万全とはいえないながら職員らによつてこれを監視し防止する態勢がとられ、時に禁止を冒して構内に立ち入る幼児、児童がないではなかつたが、見つけ次第直ちにこれを排除し、付近の幼児、児童に構内への立入りが許されないことを認識させていたといえるのであるから、現実には訴外茂の侵入を許し本件事故の発生をみたとはいえ、右事故の発生した本件変電設備所については、その所在場所に対する右のような立入防止態勢と相俟ち、如上認定の程度で、部外者の立入りによる事故を防止するため客観的に必要とされる設備は備えられていてその安全性に欠けるところはなく、従つて、その管理に瑕疵があつたとは認められないものというべきである。右に認定したように本件事故に至る訴外茂の行動は、子供心にも浄水場構内に立ち入ることを禁止されていることがわかつていながら、禁止を冒し監視の目をくぐつて構内に立ち入り、約八〇メートルも進んで土手を上つたうえ、更に高さ一・九メートルの防護用金網柵を乗り越えて変電設備所内に入り、碍子型遮断器をよじ登つて高さ二・一〇メートルのところにあるバルブに触れたというものであり、右1に認定した諸事実にかんがみるときは、浄水場側にとつて到底予測し難い行動であつたといわなければならず、また原審における証人夏加のり子の証言及び控訴人中山功次本人尋問の結果からも判る通り、変電設備所のある本件浄水場構内で子供らが時に遊ぶことのあるのを見ていた同人ら付近住民としても、構内の監視態勢を一層強化するか、変電設備所の安全設備を増強するかしなければ危険であるなどとは全然考えていなかつたものであり、従つて本件事故は付近住民にとつても全く予想外の出来事であつた。なるほど、控訴人ら主張のように、本件変電設備所の金網柵の上部に忍び返しがとりつけられていたとすれば、おそらく本件事故の発生を防止しえたであろうことは十分考えられるところであり、現に昭和五〇年一月四日及び昭和四九年八月に控訴人ら主張のとおりの場所を撮影した写真であることに争いのない甲第五号証の一ないし二〇によれば、千葉県、群馬県等にある東京電力株式会社その他の変電設備所等の危険施設に設けられている防護用金網柵や塀の上部に忍び返しがとりつけられている例が多数存することは事実である。しかしながら、原審における証人吉田政高、控訴人中山功次本人の各供述によれば、右写真に撮影されている施設は、いずれもそれ自体で独立し、直接道路や畑に面しているか、民家に近接していて、容易に一般人がこれに近づくことができ、付近で子供らが遊ぶような場所柄であり、かつ常時監視態勢がとられていない状態にあるものと認められ、このような施設については危険予防の措置として忍び返しをとりつけることが考慮されてしかるべきものといえようが、本件変電設備所は外周に金網柵をめぐらし構内への立入りを規制している浄水場の構内に設置されているものであつて、右の例とは条件を異にし、必ずしも同列に論ずることはできない。また昭和五〇年六月二一日に控訴人ら主張のとおりの場所を撮影した写真であることに争いのない甲第九号証の一ないし九、成立に争いのない乙第三号証の一、二、原審証人伊藤重義、原審及び当審証人通木愛策、同吉田政高の各証言並びに原審における検証の結果によれば、本件事故後被控訴人において、本件変電設備所の金網柵の四囲に従来の看板の他に幼児、児童にも一見してわかるように絵を入れた危険表示の看板を、金網柵上部に有刺鉄線の忍び返しをそれぞれとりつけ、浄水場構内の監視要員としてガードマン一人をおくようになつたこと、被控訴人管理下の佐倉浄水場、印旛沼取水場をはじめ数箇所の浄水場等の構内にある変電設備所の周囲の金網柵等にも本件事故後忍び返しがとりつけられたこと(本件事故前には被控訴人管理下の浄水場等の構内にある変電設備所の金網柵等に忍び返しがとりつけられていた例はなかつた。この点に関する原審証人一河普の証言は採用できない。)が認められる。しかしながら、前記乙第四号証及び右各証人の証言によれば、右のような措置は、被控訴人において必ずしも従前の設備、管理に不備があつたことを認めたわけではないが、本件事故直後控訴人中山功次から被害者の父として本件変電設備所に忍び返しをとりつけるよう強い要望があつたことでもあり、予測し難いものであつたとはいえ、現実に本件のような死亡事故の発生をみた以上、施設管理者として事故防止に万全を期するべきであるとの見地からとられたものであると認められるのであつて、これをもつて直ちに、本件事故当時の被控訴人の本件変電設備所の管理に瑕疵があつたものとは認め難いとの前記判断を左右することはできない。成立に争いのない甲第六号証、甲第一〇号証も右判断の妨げとはなりえず、他に右判断を左右するに足りる証拠は存しない。なお、控訴人らは本件浄水場全体としての管理に瑕疵があつたとも主張し、浄水場内に幼児等が立ち入ることを防止する観点からは、設備上万全であつたとはいい難いことは、さきに認定したところからも否定しえないが、それ自体に保安設備を欠くような構内の施設において事故が生じた場合は別として、本件事故の発生した変電設備所の管理に関する限り、前叙のとおり瑕疵があつたものとは認められない以上、浄水物全体としての管理につき瑕疵の有無を論議しても、本件損害賠償責任の有無には影響しないところというべきである。
三 よつて、その余の点について判断するまでもなく控訴人らの本訴請求はすべて理由がないことに帰するから、これを失当として棄却すべく、右と同旨の原判決は相当であつて本件各控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 室伏壮一郎 横山長 河本誠之)